大阪地方裁判所 昭和24年(ワ)2118号 判決
原告 芳崎栄一郎
被告 芳崎栄三郎 外二名
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、被告等は原告に対し別紙目録<省略>記載の家屋を明渡すことを命ずる。訴訟費用は被告等の負担とする。との判決並担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、原告は先代芳崎栄蔵の長男で被告栄三郎(明治四十三年九月七日生)は栄蔵の二男、被告菊枝(明治三十年九月二日生)は栄蔵の長女にして、原告の姉被告芳枝(明治三十八年十二月八日生)は栄蔵の四女にして原告の妹であるが、右栄蔵は昭和十六年十月二十六日死亡し原告はその家督相続を為すと同時に請求趣旨記載の家屋の所有権を承継したもので、該家屋の中居宅は公簿上三棟に分れているが之は既存の建物に建増をした為で実際は棟続の一体の建物を為しその他はいずれも附属建物である。そして原告先代及原告は右家屋を本宅として居住していたが原告は同志社大学を卒業し昭和二年以降大軌電気鉄道株式会社(現在近畿日本鉄道株式会社)に勤務したもので、その勤務の都合上昭和五年頃以降前記鉄道沿線の近郊に仮寓し、昭和十年五月妻しげと結婚同棲し、終戦前妻の実家なる奈良県高田市大字磯野小林栄次方に疎開し、その間右本宅には父栄蔵母もむの外被告等三名及弟修三(栄蔵の三男)が居住していたものである。然るに原告は病気に罹りその療養の都合上昭和二十二年五月単身帰阪し本宅に入らんとし被告等に対し右本宅の明渡を求めたが、被告等が之に応じない為本宅の裏に存在する叔母芳崎トミ方に同居し、原告の妻及子女三名は依然疎開先である妻の実家に寄寓して不合理な別居生活を為す状態なので、爾来被告等に対し右家屋の明渡を求めるも被告等は之に応じないものである。元来被告栄三郎は父栄蔵の生存中父及その他の兄弟姉妹と折合悪く、之を憂慮した栄蔵はその死亡の一週間前被告栄三郎及修三を枕頭に招き同人等の将来に付親族会議を開いた結果同人等は他家の養子となることを承諾したので栄蔵も安堵しその仕度料として同人等に各土地一反歩程を贈与することを決意し、修三に対しては直ちに之を履行したところ被告栄三郎は土地の分与を望まなかつたので原告は後日同被告の養子縁組成立の際之に代る物を分与せんと期していた。然るに被告栄三郎は父死亡後一年を経ざるに原告に対し多額の財産の分与を要求し、その他種々無理な申出をなすに至つたので、原告は叔父南井咲三郎従兄弟藤本真三郎に依頼し懇々とその不心得を諭し亡父の遺志に従わせんと努めたが同被告は容易に之を納得しないので原告も巳むを得ず之を放任していたが、同被告はその後も依然他家に養子に赴かず別居もせず兄弟姉妹の間折合悪しく不愉快の日を送り来つたところ前記の如く昭和二十二年五月原告が病臥し重態に陥るや被告等は本件家屋その他の財産を自己の物と為さんと企図したものの如く修三のみ昭和二十三年一月その妻節子と共に別居し被告等は右本宅に留つているものである。然るに同年四月右修三が妻を伴い本宅に来るや性質粗暴なる被告栄三郎は些細の事に立腹し修三を撲り付け之を負傷せしめたので、原告も放任し難く親族協議の上居町の先輩たる木田久吉に依頼し、原被告等の居住問題に付親族会議を開き原告から土地数筆宛を合せて約三百五十坪を一口として三口を示し被告栄三郎の選択する一口を分家料として贈与し、被告等に対し本件家屋の明渡を求めたるに被告栄三郎は最初三口全部の贈与を要求し後二口約七百坪を贈与する協議整つたに拘らず被告等は家屋の明渡をしない為右協定は実行し得ないものである。被告菊枝及芳枝はいずれも一度他家に嫁したが被告菊枝は離縁となつて実家に復帰し、被告芳枝も亦夫に死別して実家に帰り現在茶道の師匠として生活を立て近く亡夫の家に帰る予定であり、被告菊枝に対しては既に居宅を分与し、之を賃貸して賃料を取り自ら裁縫によつて自活し得るものでいずれも生活には何等困らないものである。之に反し原告は所有者とし本家に課せられる租税水道料電気料等を負担しながら之に居住することを得ない。併しながら原告は被告等に対し返還の時期及使用の目的を定めて右家屋を貸与したものではないから、原告が黙認している間は格別昭和二十二年五月以来自ら居住する為之が明渡を求めた以上被告等は該家屋を占拠すべき何等の権限がないから原告は昭和二十四年八月申立てた調停に於て被告等に明渡を求めたが之にも応じないものである。仍て被告等に対し之が明渡を求める為本訴請求に及んだと陳述した。<立証省略>
被告等は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、その答弁として、原告主張事実中原告及被告等が亡芳崎栄蔵の子で原告主張の身分関係にあること、右栄蔵が昭和十六年十月死亡し原告がその家督相続を為し原告主張の家屋の所有権を承継したことは之を認める。抑々原被告等の父栄蔵は明治二十二年芳崎由兵衛から田畑約一町五反歩及家屋一棟の贈与を受けて分家し、昭和十六年死亡当時には本件建物を含み約五十万円の遺産を有していたものであるが、長男たる原告は大正十五年同志社大学を卒業するや肋膜炎を病んで入院し、昭和二年春大軌電気鉄道株式会社に入社するや間も無く家出したところ再び病気に罹り昭和五年以来布施市中小阪に療養の為別居していたが、父栄蔵の家族と折合悪く原告の看護や原告の長女出産の為原告と同居していた母及被告芳枝を追出す等のことがあつて栄蔵は原告の将来を案じ悶々の裡に死亡したものでその間原告は栄蔵から毎月生活費の補助を受けながら毫も実家を顧みようとしなかつた。然るに昭和二十二年五月原告は喉頭結核に冒された為妻子に伝染することを虞れ本家の離家に叔母芳崎トミと同居し、最初の間被告菊枝及芳枝の看護を受けていたが同年七月被告菊枝を殴打して以来専ら叔母トミの看護を受け同年八月漸く病気回復して離家から通勤しているものである。之より先原告は昭和十年訴外小林志げ子と結婚し前記小阪町に同棲していたが同人も亦母もむを尊敬せず之と折合宜しからず本家に来ること稀であつた。そして原被告等の母もむは右本宅に於て被告等と同居しているが原告は母の生活費として毎月金五百円及小使として金三百円を仕送りするに過ぎない。被告菊枝及芳枝はいずれも曽て他家に嫁したが不幸にして不縁となつて実家に復帰し、被告菊枝は早くより再婚の意思なく父栄蔵生存中生活費補助の為居宅一戸及貸家四戸一棟の贈与を受けその賃料と自己の裁縫による所得により生活を維持するも既に五十四歳の老齢に達し、被告芳枝は夫に死別後実家に於て茶及花の師匠を為すも到底独立の生活を維持するに足りない。被告栄三郎は父生存中は原告との間に何の争もなかつたが、昭和十七年中同被告の縁談に原告が反対してより両者の間円満を欠き、昭和二十三年五月訴外木田久吉の斡旋によつて親族会議を開き土地の分配につき協議した際被告栄三郎は当時原告と弟修三との間が不仲であつたので先ず修三の取分につき決定したが原告及木田久吉の豹変によつて被告栄三郎については何等決定を見ず今日に至つている。かようにして父栄蔵死後被告等(弟修三は昭和二十三年別居した)は原告不在の本宅を守り社会状態の急変により苦しいながら相扶けて母もむに孝養を尽しているに拘らず、原告は母及姉妹の扶養を為さず動もすれば母に対する少額の仕送りも中止することあるのみならず、親族たる南井咲三郎及叔母芳崎トミと意を通じ、被告菊枝に対し同被告が父栄蔵から贈与を受けた前記家屋に付ても家督相続人たる原告の所有であると主張し、右被告を相手取り所有権確認並明渡請求訴訟を提起し現に係争中であつて本件家屋についても前に原告から調停の申立をしたが原告は本訴の提起を急ぐあまり右調停を不成立に了らしめたもので、正に原告の権利濫用に属し本訴請求に応じ難いと述べた。<立証省略>
当裁判所は職権を以て被告芳崎栄三郎本人を訊問した。
三、理 由
原告及被告等がいずれも亡芳崎栄蔵の子で原告主張の通り兄弟姉妹であること、栄蔵が昭和十六年十月二十六日死亡し原告がその家督相続を為すと同時に本件家屋の所有権を承継したこと、及被告等が右家屋に居住することはいずれも当事者間争なく証人芳崎修三の証言及原告本人の供述によれば原告は同志社大学を卒業し大軌電気鉄道株式会社に入社以来勤務の都合もあつて大阪市近郊の同鉄道沿線に仮寓し、その後三重県四日市に転じ、戦時中原告の妻子は妻の実家奈良県高田市大字磯野小林栄次方に疎開していたもので、その間芳崎家の本宅たる本件家屋に父栄蔵同人の死亡後は被告等及弟修三が母もむと共に居住していたことを認め得る。原告は右栄蔵の死後被告等が右家屋に居住するのは所有権者たる原告の黙認に因るもので、原告は昭和二十二年五月被告等に対し原告が居住する必要上右家屋の明渡を求めたから被告等は之に応ずべき義務があると主張するけれども、右原告が明渡の請求をしたことは之を認めるに足る証拠なく、却つて原告本人の供述によれば原告は昭和二十二年五月母もむに対し被告等をして右本宅を明渡さしむるよう申出でたに止まり、被告等に対し直接明渡を要求したものでないこと明である。そして被告等は亡栄蔵の子として本件家屋に居住し原告の許諾に基ずくものでないと抗争するにつき之を按ずるに成立に争のない乙第一号証、証人芳崎修三の証言及被告芳崎栄三郎本人の供述によれば被告菊枝及芳枝はいずれも曽つて他家に嫁したが未だ婚家に入籍手続を経ない内に父栄蔵の生存中実家に復帰し爾来本件家屋に居住するもので、被告栄三郎は未だ独身で出生以来本件家屋に於て成長し栄蔵死後も被告等は引続きその居住を継続するもので、栄蔵の死後特に原告の許諾を得て右家屋に居住するに至つたものでないことを認定し得る。思うに子が父母と同居することは我民法上当然であつて父死亡後といえども子が生活の為他に住居を定めるか分家、婚姻等の事実上及法律上の理由により別居するに至るまで父の住居いわゆる本宅に留まり互に扶養を為すことは我国古来の淳風美俗であつて、原告が亡栄蔵の家督相続に因り本件家屋の所有権を取得した当時に於ても法律上の家は親子共同体兄弟共同体として親権及戸主権によつて統轄せられ家族は親権者若くは戸主権に服し、その指定する所に居住すべき義務を負担したものと云わねばならぬ。即ち亡栄蔵の子たる被告等は栄蔵の生存中はその親権に、栄蔵の死亡後はその家督相続人たる原告の戸主権に服し、親権者又は戸主権者と共に本件家屋に同居する義務を負うと同時に同居する権利を有したもので、敢て本件建物の所有権者たる原告の許諾に基いたものに非ずと解せねばならぬ。然るに民法の改正により法律上家の制度及戸主権は廃止せられたとはいえ、之により被告等が従来有した本件家屋に居住すべき利益をも喪失したものと速断することは妥当でない。何となれば新民法は家と共に戸主権を廃止すると同時に家督相続制度も之を廃止し共同相続を認め、従来家に包含された兄弟共同体を保護するに拘らず偶々原告が新民法施行前に家督相続を為したが為民法改正と同時に被告等が本件家屋に居住する権利をも喪失したと解するのは彼是権衡を失し、被告等に頗る酷なるのみならず民法第八百七十七条によれば直系血族及兄弟姉妹は互に扶養する義務を負うものであつて、人の生活の本拠たる住居を定めることは扶養の程度乃至方法に関する事項というべく前顕乙第一号証及被告栄三郎本人の供述によれば被告菊枝は明治三十年九月生被告芳枝は明治三十八年十二月生でいずれも再婚の希望薄く、被告菊枝は裁縫の賃仕事被告芳枝は茶及花の師匠をしているがいずれも自活するに足らず、被告栄三郎も亦未婚にして独立の生計を立てるに至らず、斯る被告等が住宅払底の現在多額の権利金を支払つて家屋を賃借するのは至難の事たること洵に明であるから、将来被告等が独立の生計を営む余裕を持つに至るか扶養の程度及方法につき本件当事者間に協議成立(家庭裁判所の審判調停を含む)するに至るまで所有者たる原告は兄弟共同体の一員として被告等をして本件家屋に居住せしむべき負担を耐忍すべきものと解するを正当とする。仮に然らずとするも被告栄三郎本人の供述によれば本件家屋は相当広大で被告等及原告の家族の同居に堪え得ることを認め得るから、仮令原告自ら使用する必要ありとも被告等を退去せしむる必要なく、単に被告等と同居(被告等は之を拒むことはできない)を好まざるが為に明渡を求めるのは正に権利の濫用に該当するものと断ぜざるを得ない。されば原告が所有権者たることを理由として被告等に対し本訴明渡の請求を為すは到底之を容認し難い。尚原告は被告栄三郎に対し原告主張の土地約七百坪を分与し、被告等は本件家屋を明渡すべき合意成立したと主張するけれども、此の点に関する証人木田久吉の証言原告本人の供述は之を証人芳崎修三の証言及被告栄三郎の供述に照したやすく措信し難く他に右事実を肯認するに足る証拠がないからこの点に関する原告の主張も之を採用するに足らない。
仍て原告の本訴請求を失当と認め之を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担に付民事訴訟法第八十九条を適用し主文の通り判決する。
(裁判官 藤城虎雄)